カウンセリングの意味
カウンセリングってなんのためにやるのか、これは意外に難しい問いだなと思います。
色んな答えが返ってくると思います。が、やってみないと結果わからない、と思います。文章化するのは難しいですが、ちょっとコメントはしてみようと思います。
ちなみに、心理士と医師は、異なる教育を受けているので、カウンセリング、心理療法、のトレーニングを受けていない医師は結構います。一般的な精神科医は、精神医学の知識、各病気に対する医学的治療方法は、基本的には標準装備だと思いますが、心理療法という飛び道具を医師がもっていることは案外少ないのではないかと思います。
そして私もそんなに詳しくないので偉そうなことは言えませんが、カウンセリング、心理療法、と一言でいっても、かなり流派が分かれていると思います。花道、茶道、みたいな感じだと勝手に思ったりしています。
私自身は、東海大学精神科教室の当時あった制度で、新入局者、つまり研修医2年終わって、医師3年目で精神科に入ったばかりの医師は、問答無用で精神分析のトレーニングのため、スーパーバイザーが一人ずつに担当がつきました。いま振り返るとすごい贅沢な制度でしたね。通常、精神分析家のスーパーバイザーは一回受けると結構なお金がかかるんですが、新人はタダでした。そんなことも知らない私は、スーパーバイザーになっていただいた渡辺俊之先生にスーパービジョン以外の時間もくだらない質問をしまくっていました。今思えば、めぐまれた環境だったと思います。この新人教育制度は、おそらく今はもうなくなっていると思います。
せっかくなので渡辺先生のご紹介を。藤村邦というペンネームで小説も何冊か書かれています。全部もっていますが、結構面白いんです。才能豊かですよね。
でも精神分析家の先生たちは、結構皆さん文章を書くのがうまいなとは思います。
渡辺俊之先生のHP
http://watanabe.luna.weblife.me/
話は飛びましたが、カウンセリングは難しく考えると、難しいですが、精神病の程度が重たくなければ、もう少しライトに考えてもいいと思っています。
カウンセラーは一つの機能として、自分のミラーのような存在としてその場にいます。
自分との対話、といった感じでしょうか。
テニスでいうと、壁打ちをイメージしていただいてもいいです。
自問自答。言葉にすると4文字ですが、結構やろうとすると難しいです。座禅とかも、そのためにやりますよね。自問自答するには、特殊な環境設定があった方がやりやすい、といことだと思っています。
カウンセリングはその特殊な環境の一つに入るのではないでしょうか。自分でも気が付いていない自分の本質、思考、気持ち、を自分で気が付くためには、無機質な対話相手がいた方がいいです。もちろんカウンセラーはほんの少し思考を前進させるための合いの手は入れてくれますが、答えを教えてくれるわけではありません。
カウンセリングの結果としては、何が変わったのか、何が分かったのかよく分からないけど、なんだか自分らしい感じがもどってきた、と自分が腑に落ちることが重要、だと私は考えています。文章で書くとぼやっとしてしまいますが、その場にいる人でないと体感できないことを言葉で書くのは難しい。しかしそのような体験は実際その場では発生していると思います。
私自身、スパービジョンを受けていましたから、この感覚を獲得したことはあります。少し世界の見え方が、なんとなくですが、変わったような、感覚もあったような。もうだいぶ前で忘れてしまいました。しかしやってよかったな、と思ったのは覚えています。
といった感じでしょうか。
カウンセリングは子どもでも大人でも、基本的には同じ構造です。プレイなどの遊びを使うことがこどもではありますが、その子の中の何かを動かすためにプレイを使っているだけです。もちろん本気で遊んでいるときもありますがねwそれはそれでいいんです。
それまでの人生の整理がカウンセリング1回で終わるわけがないわけです。自分がこの辺でいいかな、というのがカウンセリングの終わりになります。結構そういう感覚って、皆さん分かってるなと思います。お互い、そろそろ、卒業、ですかね。となるときありますからね。あの時って結構感動ですよ。良かったなと思います。
もちろんカウンセリングはやる側も自分の心と体を使ってやるので、結構ゆさぶられるし、疲れます。感情とか思考はお互いを移動しますから、当然なんですが、なかなか慣れてはいきません。10年やっていても、10年前と同じくらい疲れるかもしれません。
一回やられたことがあると、自分の仕事やプライベートでの対人関係の取り方、距離感、相手を想像する力、とかはたぶんつくと思います。プライベートの人間関係にも、ビジネスパーソンにも有効だと勝手に思っています。
医療法人永朋会
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