愛情が届いてないように見えることもある
子育てをしていて、なんか自分の愛情が届いていないような気がする、と感じたことがあると答える養育者の方は結構います。
その場合は、自分では愛しているつもりだが、もしかしたら自分の頑張りが、愛が足りないのではないか、と考えていることが多いです。
ほとんどの時間を一緒に過ごしているわけですから、そういう風に感じるのはあたり前だと思います。
愛着形成がうまくできているサインはいくつかあります。
例えば、いないいないばあ、をしたら笑ってくれる、とか、何気ないときに目が合うし、目が合うと笑ってくれる、とか、自分がいなくなると後追いしてどこまでもついてくる、とか、たくさんありますが、どれも愛着を感じる瞬間だと思います。
このあたりのサインがうまくでないケースは何パターンかありますが、一番多いのは、広汎性発達障害、診断がつくかつかないかはおいておいて、対人相互性の障害がある場合です。
対人相互性の障害があると、養育者との愛着形成が遅れてあらわれてくる、もしくはあらわれているが薄くて分かりにくい、ということがあります。
子ども側に、養育者からの愛情を受診するというアンテナがやや弱いから、ということになります。
だからだめというわけではないのですが、愛着形成の弱さから子育てに自信をなくしてしまうことがあれば養育者の方が不安定になってしまうことになりますし、大きくなってきた時に、対人相互性の障害のために、コミュニケーションの苦手さなどにつながってくる可能性があります。
また、この逆のパターンが発生することもあります。
養育者の方は愛情をもってしっかりと育てていたとしても、子どもの方に対人相互性の障害がある場合、それを感覚的に感じ取ることができず、自分は愛されていなかったと子ども側がとらえていることがあります。
双方向でずれが生じる可能性がある、ということです。
このあたりの、ずれが生じているとき、それぞれから語るそれぞれへの印象が異なってくるということです。
特に青年期以降、つまり大人になってから本人が受診するケースで、本人から過去の生育歴を振り返った時に治療者側が抱いた印象と、実際に養育者の方にあった時の印象が異なるとき、このパターンが発生していることがあります。
もちろん、複雑に要因がからんでいるケースもありますので、一概にはいえませんが、何か双方の語る生育歴に違和感を感じるときは、こういうことも想定する必要があります。
昔、この違和感をほかっておいて、なんどか痛い目にあったことを思い出します。
臨床だけでなく、何か「おやっ」と思ったとき、プライベートやビジネス、どの場面でもあると思います。
違和感を感じた時、それは何かのサインであることの方が多いですから、置き去りにしないで、ちょっと捕まえてみてください。
医療法人永朋会
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