プレイセラピーって、実際なんなの
言語化するのが苦手な子、まだ言語発達されていない状態、会話は緊張が強く出てしまう子、とかの場合、プレイセラピーをやることがあります。
箱庭のように少し治療の枠がしっかりしたものから、ままごと、工作、絵を描く、ボール遊び、ボード遊び、基本的にはなんでもいいと思います。
箱庭、ままごと、のように人が登場するものの方が、無意識の投影されやすいと思うので、私が自分でやるときはそういうものに誘導していました。絵を描くのも、こちらから刺激を入れることもできるので、好んで使っていました。
単純に遊びをつうじて、信頼関係を作るということも大事ですし、楽しんでもらうことももちろん意味がありますが、根底には心理療法ですから、大人と同じでその空間の中で何かを展開させるつもりでやった方がいいと思います。そういう治療者側の気迫みたいなものは、心という目に見えないものを動かしたり、ゆらぎを与えたりするのに必要だと、私はかってにそう思ってます。
そしてもっとも重要なことは、子どもがどんなに小さくても、一人の人間として接する、ということです。子どもだからと、子ども目線にしていたり、子ども扱いするのは、子どもをバカにしているだけだと思います。彼らは、言語能力がまだ低い状態であったとしても、本気で聞かれたことには、本気でかえしてきます。
どんなやつなのか、むしろ子ども側の方がこちらを評価していると思った方がいい。
こいつに話しても意味ないな、と思われたら治療自体がスタートしません。
未熟な母親と、感受性の高い子どもの組み合わせで母子逆転が起こりやすいのと同じように、未熟な治療者と、感受性の高い子どもの組み合わせで、治療者の方に子どもが合わせてくること、全然あります。
過酷な生育歴をサバイブした子どもと、ぼやっと生きてきた治療者、どちらの戦闘力が高いか、誰の目にもあきらかでしょう。
なのでプレイセラピー、言葉で書くとかわいいですか、全然かわいいものではないのです。真剣勝負です。
もちろん大人でもいますが、かなり軽い神経症レベルであれば、ただ遊んでいるだけでもよくなります。大人が、ただ見守っているだけなのに、自分で勝手によくなっていく、のと同じです。
医療法人永朋会
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