ビジネスを成功させるには、泥臭いことを誰よりもたくさんやるしかな

ビジネスを成功させるには、泥臭いことを誰よりもたくさんやるしかない

 

ビジネスを成功させるには、泥臭いことを誰よりもたくさんやるしかない、実業を10年やって、ほんとうにそう思います。どんなにいいサービスも、システム化、というのは結局なかなかできません。iPhoneのように商品で圧倒的な差別化ができた時だけでしょうが、そんなことはなかなかできるものではありません。というか普通の人にはできない、としておいた方がいいです。となると差別化は、人でするしかないんです。

 

 

サービス業は医業でも飲食でも、スタッフ、サービスが愛されてなんぼです。その場所に行く意味が一つもなければ、来るわけないからです。ちょっと好きになってもらうだけでなく、かなり好きですとロイヤルカスタマーになっていただくためには、おそらく人、サービス、どちらも顧客から愛されなければならないでしょう。どちらかではなく、どちらもが、絶対条件だと思っています。かかわる人、提供するサービス、特に人(スタッフ)が顧客に気にいってもらうにはどうしたらいいのか、これはほんとに難しいなと思います。人は100人いたら、もともとの能力、人柄、性格、育ってきた環境、学んできたこと、価値観、あらゆることが異なるからです。人を育てるメソッドで完成した既製品はありません。私はサービス業である以上、もともとの気質として、お客さんに喜んでもらいたい、つまり他人の喜びを自分の喜びにできる人、が最低限必要じゃないかなと思っています。これは与えてあげることができません、大人になった時点で持っているか持っていないか、が決まってしまっているように思います。それはその人の生まれながらの気質+育ってきた環境要因、である程度決まってしまうものじゃないかと私は考えています。つまり採用の時点で、あるか、ないか、がある程度決まっているように思います。少しでもあれば、それを伸ばすことができるかもしれませんが、持っていない、つまり0だと伸びせない。

 

私は医業は精神科からスタートしました。学問の最初のベースは精神医学、心理学、なので、その後ほかの知識を色々と学んでいますが、知のベースが何かによって、そのとらえ方は変わってくるのではないかと思います。私は迷ったりすると、発想の仕方として、精神分析的な型を使うことがあります。まさに、武術の型のような感じです。一番体に馴染んだ型が武術にあるように、学問にもそれがあると思います。思考の仕方のくせ、とでもいうのでしょうか、一番しっくりくるものが。格闘技を複数ならっていたとしても、突然おそわれたら、とっさにでる構えは、ベースの型がでるだろうと思います。私は、格闘技もいくつかやってきたので、イメージがつきます。体も脳もしっくりする型があるです。

 

 

 

例えばですが、私は人にあったりすると、この人ってどんな人なのかなと自然に考えます。こんな感じで育ってきたのかな、とか、ぼやっと考えます。少し仲良くなると、生育歴を少しずつ聞いてしまいます。興味がある人にしかもちろんやりませんよ、面倒なので。

 

少し精神科的な話をします。今の日本は基本的信頼感が希薄になってきていると思います。自我機能が弱くなっている、自分が自分であるという感覚、存在していいという根源的な自信、みたいなものが、風船がしぼむように小さくなっているイメージです。自分と他人を分かつ壁を自我境界と定義するなら、その壁がうすうすだと他者からの攻撃にも弱くなり、ちょっとしたことで穴があけば自我機能がしぼんでしまいます。他人を助けたりするには自分自身の自我がしっかりしていないと、つまり風船がある程度大きくないと、風船の中の空気を他人に渡してあげようとは思わないはずです。自我がしっかりしていないと、他人に何かを渡すことはできない、他者排他的な世界になっていくということです。ではこの自我を強くするにはどうしたらいいかといえば、生まれてからしっかり愛されているか、無条件の愛をもらっているか、自分が自分でいいのだと承認されているか、ということが重要になってきます。それは生みの親である必要なはく、たまたま住んでいたとなりのおばちゃん、習い事の先生、学校の先生、とか、誰でもいいわけです。全然いないとなると、他者を信頼できるかどうかの尺度となる基本的信頼感を獲得できず、自我境界は薄く、風船は小さく、割れそう、という感じになってしまうわけです。

 

時間的に長いのは、養育者、学校の先生、でしょうか。このあたりで獲得できないと、その他の中でそういう大人モデルがあらわれるかどうか、きっと確率は下がるのでしょう。

 

なので私は学校教育って、すごく大事だと思っています。養育者は選べないですが、学校教育は国が管轄できる領域だからです。しかし現実にはどうでしょうか、そのような場所にはなっていないような気がしています。

 

自我が弱ければ、結果的には自分を守らなければならず、悪い方からみれば自分が良ければいい、となってしまいます。社会全体がより良い方向にいくにはどうしたらいいか、日本が、世界が、そうなるにはどうしたらいいか、とは考える余裕はない、となります。

 

 

 

今の日本の弱さの根源にこういうものもあるだろうということです。円安一つとっても、国という単位での競争力の絶対値での戦いです。国の最小単位は人です。個人が強くならなければ、国は強くなりません。ということで教育の改革というのは国力を上げるためにも非常に重要なわけです。

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